“飾らない音”が語っていたこと──ブレンデルさんの訃報に寄せて

“飾らない音”が語っていたこと──ブレンデルさんの訃報に寄せて

その名前を最初に知ったのは、学生時代。

 

クラシックを学ぶ者にとって、アルフレッド・ブレンデルという存在は、
どこか“静かな威厳”をまとっていました。

 

熱く語られることは少なくても、
「知る人ぞ知る巨匠」として、背筋が伸びるような名前。

 

けれど当時の私は、彼の演奏を熱心に聴いていたわけではなく、
CDを“課題曲の参考音源”として流していたくらいだったかもしれません。

 

そんなブレンデル氏の訃報が届いたのは、先日。
静かに、そして確かに、自分の中の“時間”が動いた気がしました。

 

ブレンデルというピアニスト

アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel)氏は、1931年生まれ。
チェコに生まれ、オーストリアを拠点に世界的な演奏活動を続けた、
知性派のピアニストです。

 

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどの解釈に定評があり、
特にベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音は、今もなお高く評価されています。

 

彼の演奏スタイルは、派手さや感情過多な表現とは対極にあります。

 

構造を大切にしながら、淡々と、しかし誠実に音楽と向き合う。
感情を「盛る」のではなく、理解して「音にする」──
そんな“飾らない演奏”が、静かに深く心に残る人でした。

 

あの頃、繰り返し聴いていたブレンデルのベートーヴェン

思い返せば、音大生の頃、ブレンデルの演奏で一番耳にしていたのはベートーヴェン。
課題として取り組んでいたピアノ・ソナタのCDを、
通学中に繰り返し聴いていた記憶があります。

 

当時の私にとっては、“参考音源”であり、“模範的でまじめな演奏”

 

正直、「地味だな」と感じたこともありました。
でも、なぜか何度も聴いていたんですよね。

 

印象に残るわけでもないのに、自然と選んでいたあの音。

 

“まじめな演奏”に隠れていたもの──《悲愴》第2楽章

訃報を受けて、あらためてベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番《悲愴》第2楽章を聴いてみました。

 

 

あの頃“地味”だと感じていた演奏は、今の耳にはまったく違って響きました。

 

淡々と進んでいくようでいて、そこには明らかな緩急があり、
間があり、呼吸がある。

 

飾らず、語りすぎず、でも確かに感情の波がゆっくりと寄せてくるような時間。

 

「この音、こんなに深かったんだ・・・」
聴きながら、何度もそう感じました。

 

ブレンデルのシューベルトに、今はじめて出会う

そして今回、初めて聴いたのが、シューベルトの《即興曲 D899-3》

 

 

ブレンデルの演奏でこの曲を聴くのは、はじめての体験でした。

 

冒頭の旋律が淡々と語りかけてくるように始まり、
音が少ないにもかかわらず、そこにある空気が、静かに心に触れてきました。

 

派手な山場も、大きな感情の揺さぶりもない。

 

けれどその“飾らなさ”の中に、澄んだ誠実さのようなものがあって、
聴き終えたあと、なぜかひとつ深呼吸をしたくなったのです。

 

静けさの中にあった“深さ”──変わったのは音ではなく、自分だった

ブレンデルさんの演奏を、今の耳であらためて聴き直してみて、
あの頃には受け取れなかったものがいくつも見えてきました。

 

同じ曲でも、聴く自分が変われば、聴こえてくるものがまったく違う。
音楽って、本当に“深い”ものなんだと、今さらながら感じています。

 

技術や強弱のわかりやすさでは測れないもの。
音の少なさや静けさの中に、こんなにも豊かな世界があったなんて。

 

そしてきっと、この“深さ”は、歳を重ねた今の自分だからこそ、
ようやく受け取れるようになったのかもしれません。

 

ブレンデルさんの“飾らない演奏”は、
言葉以上に多くのことを、静かに語っていたのだと思います。

 

その音は、これからも静かに息づいていく

彼の演奏は、これからも世界中で再生されつづけていくでしょう。
そしてその音は、これから初めて出会う人たちの中にも、
静かに息づいていくのだと思います。

 

その音に、今、ようやくまっすぐに耳を澄ませることができた自分に、静かに感謝を込めて──。

 

 

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