「もし、発表会でうまく弾けなかったら・・・」
そんな場面を、想像したことはありますか?
一生懸命に練習してきたからこそ、
本番で思うように弾けなかったときの悔しさや戸惑いは、
子どもにとっても、大人にとっても忘れられない経験になります。
ピアノ講師歴25年以上。
これまでたくさんの子どもたちと向き合ってきましたが、
今回は、ある発表会でのできごとを通して感じたことを、
お話ししてみたいと思います。
何年経っても、ふと思い出すたびに胸があたたかくなるエピソードです。
°⌖꙳✧˖°
発表会の舞台裏で、ひとりの生徒がぽろぽろと涙をこぼしていました。
やがてその涙は、こらえきれない声となって静かな空間に広がっていきました。
本番のステージで、想像もしなかった“失敗”が起きてしまったのです。
ミスタッチが重なり、演奏が止まり、
何度も弾き直しても思うようにいかないまま曲は終わってしまいました。
「うまく弾けなかった」という現実に、
彼女の心は押しつぶされそうになっていたのだと思います。
そして何より、自分のことが許せなかったのかもしれません。
あのとき流れた涙には、ただの悔しさだけではない、
“誇り”と“本気”が、しっかりと宿っていました。
そして彼女は、もう一度ステージに立ちました。
その小さな背中から、わたしは音楽以上に大切なことを教えてもらったのです。
本番で演奏が止まってしまった…子どもが経験した“想定外”のできごと
舞台の上で起きたできごとは、まさに“予期せぬアクシデント”でした。
最初の数小節は、丁寧に、彼女らしい音で始まったのです。
でも、ある場所で指がふっと迷い、音がずれてしまいました。
本人はすぐに立て直そうとしましたが、流れが崩れてしまい、
そこから何度も弾き直すような形になってしまいました。
静まり返った会場の中で、ただただ時間が止まっているように感じた・・・
そんな瞬間が、彼女の中にはあったのだと思います。
親御さんの想いや関わり方が、子どものプレッシャーにつながることもあります。
✧˙⁎⋆練習の成果を見たい親心。そのまなざしが子どもに与える影響とは。
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プレッシャーの正体──“失敗が許されない”空気が生むもの
その子のお母さまは、ふだんからとても熱心で、
同時に、とても厳しい方でもありました。
わたしが見ていても、
「失敗を許さない」という雰囲気が、
日常の中に少しだけ漂っていたように思います。
それだけに、その子は
“本番でうまく弾くこと”に強い覚悟を持っていたのでしょう。
誰よりも練習していたし、
「わたし、絶対ミスしないようにがんばる」と、
本番直前にも話していたのです。
だからこそ、あのできごとは、
彼女にとって“心が耐えられないほどのショック”だったのかもしれません。
「先生が弾いて」──心が折れそうな子どもに、どう寄り添う?
しかもその子には、もうひとつの大役がありました。
発表会の最後に行われる全員合唱の伴奏を任されていたのです。
舞台袖で泣きながら、彼女はわたしにこう言いました。
「先生・・・もうムリ。
伴奏、先生が弾いて・・・」
あまりに素直で、あまりに切実なその声に、
思わずわたしも心がぐらっと揺れました。
でも、その子がどれだけがんばってきたかを知っていたからこそ、
ここで“わたしが代わってしまう”ことはできなかったのです。
「これはこれ、だよ。
〇〇ちゃんの伴奏、楽しみにしてくれてる人がいるよ」
そう言って、彼女の肩にそっと手を添えました。
今ならきっと、彼女は弾ける。
そう信じて、背中を送り出した瞬間でした。
失敗のあとに奏でたピアノ──涙を越えて、自分を取り戻す音
伴奏のピアノが鳴りはじめた瞬間、
わたしの心にも、ふっとやさしい風が吹いた気がしました。
それは、彼女が“自分をもう一度取り戻した音”。
悔しさも、涙も、そのまま抱えたまま。
それでも、鍵盤に手をのばし、音を届けてくれたその姿に、
会場の誰もが気づかぬうちに、心を動かされたのではないかと思います。
そのときの演奏は、本当に立派でした。
本番の最初のステージでは、うまくいかなかったけれど、
そのあとの彼女の音は、間違いなく“自分を超えた音”でした。
ピアノの先生として、わたしがあの子から教えてもらったこと
あの日の彼女の涙。
わたしは、きっと一生忘れないと思います。
そして、あのとき感じたのは、
「失敗を乗り越える力」って、
誰かに教えられて身につくものではないんだな、ということでした。
失敗したあとに、何を感じて、どう行動するか。
それは、その人自身の“選択”なんですね。
そして、その選択をするには、
そばに信じてくれる大人がいることが大きな支えになります。
たとえ心がぐらぐらに揺れていても、
「大丈夫。あなたなら、きっともう一度やれる」と
まっすぐ信じてくれる人がそばにいるだけで、
人は“自分自身の力”で、立ち上がろうとすることができるんです。
その瞬間を見たとき、
「ああ、音楽って、上手に弾けることだけが価値じゃない」と、あらためて思いました。
あの伴奏に込められていたものは、
楽譜には書かれていない、“勇気”そのものでした。
本番で失敗した子どもに、どう声をかければいい?
もしこの記事を読んでくださっている方の中に、
ピアノを習っているお子さんをお持ちの方や、
指導に関わる立場の方がいらっしゃったなら、
そっとお伝えしたいことがあります。
それは、
「失敗は、すばらしい学びになる」という視点を、
どうか持っていてほしいということです。
子どもが本番で失敗してしまったとき。
うまく弾けなくて、落ち込んでいるとき。
親として、先生として、どう声をかけていいか迷う場面もあると思います。
でも、そんなときこそ、
「それでも、あなたは立派だったよ」
「わたしはあなたを信じてるよ」
そんな言葉をかけてあげてほしいのです。
できることなら、結果よりも、
その子がどんな思いでそこに向かったのかに目を向けてほしい。
そして、失敗を“ダメなもの”として終わらせるのではなく、
“心を育てる時間”として、いっしょに味わってもらえたら―。
きっとその経験は、
何年もあとになって、宝物になるはずです。
あの伴奏が、きっと自信の芽になっていく
あの子が、もう一度ピアノに向かってくれたこと。
そして、あのときの涙を抱えたまま
やさしい音を届けてくれたこと。
それは、ただ“伴奏を弾いた”というだけの話ではなく、
自分自身と向き合って、一歩を踏み出した瞬間だったのだと思います。
だから今も、あのピアノの音が、わたしの胸の中で響き続けているのかもしれません。
うまく弾けなくても、大丈夫。
涙のあとに響く音は、きっとやさしい。