「いま、ここ」を音楽に例える

わたしは、自然の法則を
音楽からも教わっています。

 

今日は、
「いま、この瞬間」
”ピアノを演奏する”ということに
例えてみたいと思います。

 

いま、この瞬間の音に注目する

 

音楽は、「時間芸術」といわれ、
1曲の演奏時間という
時間の流れの中で、
ストーリーが展開されていきます。

 

5秒前に演奏した部分は、
「もう、過ぎ去った音」で
そこに戻ることはできません。

 

どんどんと、
「いま、この瞬間の音」が
あらわれては、消えていく。

 

1分前の演奏は、
「もう、過去のもの」なんです。

 

それをわたしたちは演奏中に、
ミスをした箇所について、
「いつもは弾けるのに間違えてしまった」と
しばらくひきずったりします。

 

ミスがミスを呼ぶのは、
一つ間違えるとそのことにずっと執着してしまい、
「いまの音」を逃すので、
どんどんとミスが重なってしまうのです。

 

確かに練習量が少なく、
もともとしっかり技術を習得していない、
という理由もあるかもしれませんが、
練習通りに弾けないのは
たいてい「意識」の問題が多いのです。
わたしたちが意識するのは、
「過去の音」ではなく
「いまの音」です。

 

これを小さい時から
ずっと自然にやってきました。

 

とくに発表会やコンクール、試験など、
人前で弾く時は
こういったことがよく起こります。

 

ミスをしたら
そのまま気にせずに進めばいいのに、
なぜか音楽は先へ進んでいるのに、
ミスしたことをいつまでも気にして
「いまをおろそかにする」ので、
またミスをする。

 

これは経験してわかったことなのですが、
人は、過去のことに執着をするものなんですね。

 

どんなにミスをしても
もう過ぎ去った過去は過去。

 

どんどん先へ進んで
本来なら、「いまの音」に意識を向けなければいけない。

 

「いまの音」に意識を合わせる

 

「意識のあらわれ」が
音楽というわかりやすい
「音」で表現されるので、
楽器演奏をする人は、
「いま、ここ」を解釈するのが
早いのではないかと思います。

 

「目には見えない」という点では、
”音”もわたしたちの”目の前の世界”も同じです。

 

「いまの音」だけに意識していると、
とても意識はピンスポットを
当てた感じで、敏感になります。

 

これが「意識的になる」
ということなのだと思います。

 

 

意識が、「いま」にある

 

歩いていても、食べていても、
そのことに意識を集中する。

 

歩いている足の感覚。
地面につく足の裏や膝、ももの感覚。

 

食べているときの食感。
味、柔らかさ、香り、
などの感覚。

 

これらが楽器を演奏するときの、
「いま、この瞬間の音」に意識している時と同じ感覚です。

 

演奏家は、演奏をミスをしないために、
どうしたらいいか、
ということを経験で知っています。

 

ミスをすることがいけないことではなくて、
ミスから学んでいるのです。

 

だから、今までに一度も
ミスをしたことがない人は、
演奏でミスをしないために、
どうしたらいいか、なんて
わからないのです。

 

「ひたすら練習するだけじゃない?」

 

と思うかもしれません。

 

もちろん、練習量は裏切りません。

 

練習した時間や量ではなく、
その時間を費やしたことで得られた
先進的な”強さ”が
ミスを少なくするのだと思います。

 

わたしたちの目の前の世界は、
「いま、この瞬間」の
自分の意識の投影です。

 

 

自分の演奏している”音”を美しくするためにはどうすればいいのか?

 

わたしたちは、
「美しい演奏がしたい」
「きれいな曲をうまく表現したい」
こんな気持ちで、日々練習します。

 

愚痴をこぼしながら練習はしません。

 

できない自分にイライラする事がありますが、
イライラしたら、イライラした「音」が出ます。

 

どんなことも、
「経験」から学べるのです。

 

すべての「経験」を、
学びに変えていこう」!!

 

 

 

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