平原綾香《Jupiter》の原曲は?ホルスト《木星》と受け継がれた旋律
平原綾香さんの代表曲《Jupiter》。
ゆったりと広がる壮大な旋律と、
「ひとりではない」と感じさせてくれる歌詞が印象的な曲です。
この《Jupiter》には、クラシック音楽の原曲があります。
原曲は、イギリスの作曲家グスターヴ・ホルストが作曲した、
管弦楽組曲《惑星》の第4曲《木星》。
ただし、平原さんの《Jupiter》は、
《木星》という曲全体に歌詞をつけたものではありません。
原曲の中間部に現れる、ゆったりとしたコラール風の旋律がもとになっています。
この記事では、
- ホルストの《惑星》とはどのような作品なのか
- 原曲の《木星》はどのような曲なのか
- 平原綾香さんの《Jupiter》には、どの部分が使われているのか
- その旋律が、時代や国を越えてどのように受け継がれてきたのか
を、実際の音源とともにご紹介します。
平原綾香《Jupiter》の原曲は、ホルストの《木星》
平原綾香さんは、2003年12月17日に《Jupiter》でデビューしました。
《Jupiter》は、ホルストの組曲《惑星》の中の《木星》に、
日本語詞をつけた曲です。
平原さんの公式プロフィールでも、
《木星》に日本語詞をつけたデビュー曲として紹介されています。
もともとの《木星》は、歌詞のない管弦楽曲です。
ヴァイオリンなどの弦楽器、
フルートやオーボエなどの木管楽器、
トランペットやホルンなどの金管楽器、
打楽器といった、大編成のオーケストラによって演奏されます。
平原さんの歌で知られる旋律は、《木星》の途中に現れる一部分です。
原曲を最初から聴いてみると、
「思っていた曲とずいぶん違う」と感じる方も多いかもしれません。
ホルストの組曲《惑星》とは?
グスターヴ・ホルストは、1874年に生まれたイギリスの作曲家です。
代表作である管弦楽組曲《惑星》は、
1914年に作曲が始まり、1917年までに完成しました。
1918年に初演され、ホルストを広く知られる作曲家にした作品です。
《惑星》という題名から、宇宙に浮かぶ惑星の姿や、
天文学的な特徴を音で描いた作品だと思われるかもしれません。
しかし、ホルストが着想を得たのは、天文学ではなく占星術でした。
ホルストは占星術に関心を持ち、
友人のホロスコープを作ることもあったそうです。
《惑星》では、占星術でそれぞれの惑星に与えられている性質や性格が、
音楽によって表現されています。
組曲は、次の7曲で構成されています。
- 第1曲《火星・戦争をもたらす者》
- 第2曲《金星・平和をもたらす者》
- 第3曲《水星・翼のある使者》
- 第4曲《木星・歓喜をもたらす者》
- 第5曲《土星・老いをもたらす者》
- 第6曲《天王星・魔術師》
- 第7曲《海王星・神秘家》
地球は含まれていません。
惑星を遠くから観察しているというよりも、
それぞれの惑星が持つと考えられていた力や性格を、
音楽の登場人物として描いたような作品です。
ホルストの《木星》はどんな曲?
《木星》の英語の副題は、Jupiter, the Bringer of Jollity
日本語では、一般的に「歓喜をもたらす者」と訳されています。
ロンドン交響楽団の解説では、
ホルストが考えていた占星術上の木星について、
「生命と活力の豊かさ」を表すものだったと紹介されています。
原曲の《木星》は、平原さんの《Jupiter》のように、
最初から最後までゆったりと荘厳な音楽ではありません。
曲の冒頭では、弦楽器の細かな動きの上に、
ホルンが明るく力強い旋律を奏でます。
その後も、にぎやかな祝祭や、
民俗舞曲を思わせるような音楽が続きます。
リズムは躍動的で、
オーケストラ全体に生命力があふれています。
その途中で、音楽の流れが大きく変わり、
ゆったりとした堂々たる旋律が現れます。
これが、平原綾香さんの《Jupiter》に使われている旋律です。
壮大な部分だけを知っていると、
《木星》は祈りや愛を表す静かな曲のように感じられるかもしれません。
しかし原曲全体を聴くと、
華やかさ、陽気さ、力強さ、おおらかさ、荘厳さなど、
木星のさまざまな表情が描かれていることがわかります。
平原さんの《Jupiter》は、《木星》のすべてではなく、
いくつもの表情の中から、ひとつの旋律を取り出して生まれた曲なのです。
《Jupiter》に使われているのは、どの部分?
平原綾香さんの《Jupiter》に使われているのは、
《木星》の中間部に現れる、コラール風の壮大な旋律です。
楽曲の分析では「第4主題」と説明されることもあります。
「コラール」とは、もともと教会で歌われる賛美歌を指す言葉です。
この部分も、実際に合唱されているわけではありませんが、
旋律が和音を伴いながら、ゆっくりと堂々と進みます。
にぎやかで躍動感のある音楽がいったん静まり、
広い場所に立って遠くを見渡すような旋律が現れる。
その大きな変化も、この旋律を強く印象づけている理由のひとつです。
平原さんの《Jupiter》では、
この部分が歌いやすい形に整えられ、
日本語詞によるひとつの歌として再構成されています。
《木星》から、イギリスの賛歌へ
《木星》の中間部の旋律に、言葉がついたのは、
平原綾香さんの《Jupiter》が初めてではありません。
この旋律は、のちにホルスト自身の手によって、
イギリスの愛国的な賛歌、《I Vow to Thee, My Country》(私はあなたに誓う、わが祖国よ)へと受け継がれました。
歌詞を書いたのは、イギリスの外交官でもあった
セシル・スプリング=ライスです。
ホルストは、《惑星》の《木星》から旋律を取り出し、
歌詞に合うように編曲しました。
この賛歌に使われる旋律は、
ホルストが暮らしていたイギリスの村の名前から、
《Thaxted(サクステッド)》と呼ばれています。
つまり、旋律の流れは、次のようになります。
ホルストの管弦楽曲《木星》
↓
イギリスの賛歌《I Vow to Thee, My Country》
↓
平原綾香さんの《Jupiter》
ただし、平原さんの《Jupiter》が、
イギリスの賛歌をそのまま日本語でカバーしたということではありません。
同じ《木星》の旋律に、異なる時代、異なる国で、
新しい言葉と物語が重ねられてきたということです。
イギリスでは、祖国への献身を歌う賛歌となり、
日本では、愛や人とのつながりを感じさせる歌になりました。
ひとつの旋律が、言葉によって異なる意味を持ちながら受け継がれてきたのです。
日本で生まれた、もうひとつの《Jupiter》
平原綾香さんの《Jupiter》は、
ホルストの旋律を、日本語の歌として多くの人に届けました。
平原さんは、クラシックの原曲を初めて聴いたときに涙がこぼれ、
この曲をデビュー曲に選んだと語っています。
平原さんの深く落ち着いた声で歌われると、
原曲の壮大な旋律が、人への思いや、
目には見えないつながりを感じさせる音楽へと変わります。
クラシック音楽を普段聴かない人の中にも、
平原さんの《Jupiter》を通して、
ホルストの旋律を知った方は多いのではないでしょうか。
原曲とは違う作品でありながら、
原曲の持つ壮大さや祈りのような響きを、
日本語の歌として新しくひらいた作品だと思います。
震災をきっかけに、別の意味を持った《Jupiter》
平原綾香さんの《Jupiter》は、
2004年の新潟県中越地震をきっかけに、
それまでとはまた違う意味でも受け取られるようになりました。
被災地からラジオ局へ、
「この歌を聴くと勇気づけられる」と
《Jupiter》のリクエストが寄せられ続けたそうです。
翌年からは、長岡まつり大花火大会で、
復興を願う花火「フェニックス」とともに流される曲にもなりました。
ホルストが作った歌詞のない旋律に、
日本語の歌詞がついた。
そして、その曲を聴いた人たちの体験によって、
今度は希望や祈り、復興の記憶が重なっていった。
曲は作られた瞬間に完成するだけではなく、
聴かれた場所や、人々の経験によっても、
少しずつ新しい意味を持つようになるのかもしれません。
ホルスト《木星》と平原綾香《Jupiter》を聴き比べてみよう
まずは、ホルストの《木星》を最初から聴いてみてください。
平原綾香さんの《Jupiter》で知られる旋律だけでなく、
華やかで躍動感のある木星のさまざまな表情が聞こえてきます。
今回ご紹介するのは、アントニオ・パッパーノ指揮、
ロンドン交響楽団の演奏です。
冒頭の明るく活発な部分から聴き始めると、
中間部にあの壮大な旋律が現れたときの印象も変わると思います。
旋律だけを切り取って聴くのではなく、
《木星》という一曲の中で、どのような流れを経て現れるのかにも注目してみてください。
続いて、平原綾香さんの《Jupiter》を聴いてみましょう。
同じ旋律に言葉がつくことで、
音楽の輪郭がどのように変わって聞こえるでしょうか。
原曲では、木星のさまざまな表情のひとつだった旋律が、
平原さんの歌では、曲全体を支える中心的なメロディーになっています。
オーケストラだけで聴いたときと、歌詞や歌声とともに聴いたとき。
同じ旋律でも、浮かんでくる風景や、
受け取る意味が違ってくるのではないでしょうか。
時代や国を越えて、意味をまとってきた旋律
ホルストが占星術の木星をもとに作った音楽は、
イギリスでは祖国を歌う賛歌へと受け継がれました。
そして日本では、平原綾香さんによって、
愛や人とのつながりを感じさせる《Jupiter》となりました。
さらに、新潟県中越地震を経験した人たちの間では、
勇気や希望、復興の記憶とも結びついています。
ひとつの旋律であっても、言葉や歌う人、
聴かれた時代によって、その意味は少しずつ変わっていきます。
では、あとから歌詞がつくことで、
私たちの音楽の聴き方は、どのように変わるのでしょうか。
平原綾香さんの《Jupiter》を知ったあとでは、
もう歌詞のないホルストの《木星》を、
それ以前と同じようには聴けないのかもしれません。
歌詞のない音楽と言葉の関係については、
Substack(ニュースレター)の記事で、もう少し深く考えてみました。
《Jupiter》の歌詞を知ったあとで、ホルストの《木星》を聴く

