ラヴェル《クープランの墓》に見る“借りる美学”
ラヴェルの音楽というと、《水の戯れ》や《夜のガスパール》のように、
透明感のある響きや、精密に作り込まれた音の世界を思い浮かべる方も多いかもしれません。
けれどラヴェルには、まったく新しい響きを追い求める一方で、
古い音楽の形式や、他の作曲家の作風、名前、文学作品など、
すでに存在するものをもとにして書かれた作品もあります。
その代表的な作品のひとつが、《クープランの墓》です。
《クープランの墓》は、フランス・バロックの形式を思わせるピアノ組曲です。
古い舞曲の形を借りながら、そこに響いているのは、
まぎれもなくラヴェル自身の音楽です。
ラヴェルは、過去の音楽をそのまま再現したわけではありません。
古い形式を借りながら、自分の美意識で磨き直し、
新しい音楽として生まれ変わらせました。
この記事では、《クープランの墓》を中心に、
ラヴェルのピアノ曲に見られる「借りる美学」について見ていきます。
ラヴェルは、過去をそのまま再現したわけではない
音楽には、オマージュ、パロディ、パスティーシュ、
引用といった言葉があります。
オマージュは、敬意や尊敬を込めて作品を作ること。
パロディは、元の作品や作風の特徴を意識的にまねて、別の形にすること。
パスティーシュは、特定の作曲家や時代の作風をまねて作られた作品を指します。
引用は、すでにある旋律や素材を作品の中に取り入れることです。
ラヴェルの作品では、これらがきれいにひとつに分けられるというより、
いくつかの要素が重なっていることがあります。
ただし、ここで大切なのは、「借りること」と
「ただのコピー」は違う、ということです。
ラヴェルは、古い形式や他の作曲家の作風をそのまま写したわけではありません。
相手の音楽をよく知り、その特徴を受け取り、自分の耳で聴き直す。
そして、自分の美意識を通して、まったく別の作品として仕立て直す。
そこに、ラヴェルらしい知的な遊び心があります。
まねることは、浅い行為とは限りません。
本当にまねるためには、
まず相手の特徴を深く理解していなければならないからです。
ラヴェルの「借りる美学」は、単なるものまねではなく、
理解と敬意、そして創造の上に成り立っているのです。
《クープランの墓》——古いフランス音楽の形式を借りる
ラヴェルの「借りる美学」を考えるうえで、《クープランの墓》はとても重要な作品です。
《クープランの墓》は、1914年から1917年にかけて作曲されたピアノ組曲です。
プレリュード、フーガ、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット、トッカータの6曲から成ります。
タイトルにあるクープランとは、フランス・バロックを代表する作曲家、
フランソワ・クープランのことです。
ただしこの作品は、クープラン一人だけを描いたものというより、
クープランに代表される18世紀フランス音楽へのオマージュとして見ることができます。
《クープランの墓》の原題にある「トンボー(tombeau)」は、
フランス語で「墓」を意味します。
ただし、ここでの「墓」は単なるお墓というより、
亡くなった人への追悼やオマージュを込めた作品、
という意味で受け取るとわかりやすいです。
実際にこの組曲の各曲は、
第一次世界大戦で亡くなったラヴェルの友人たちに捧げられています。
けれど、音楽は重く沈み込むというより、
どこか明るく、端正で、澄んだ響きを持っています。
ここが、とてもラヴェルらしいところです。
悲しみを直接叫ぶのではなく、古い舞曲の形式の中に静かに収める。
感情をむき出しにするのではなく、美しい形に整えて差し出す。
《クープランの墓》でラヴェルが借りているのは、
特定の旋律というより、古いフランス音楽の形式です。
フーガ、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット。
どれも古い時代の音楽を思わせる形式です。
けれど、響きは完全にラヴェルです。
古い器を使いながら、その中に入っているのは、近代フランスの洗練された音。
つまり《クープランの墓》は、過去をそのまま再現した作品ではありません。
古い形式を借りながら、ラヴェル自身の美意識によって、
新しい作品として磨き上げられた音楽なのです。
古い舞曲の中に、ラヴェルの響きがある
《クープランの墓》には、古い舞曲や鍵盤音楽を思わせる曲名が並んでいます。
プレリュード。
フーガ。
フォルラーヌ。
リゴードン。
メヌエット。
トッカータ。
これらの名前だけを見ると、バロック時代の音楽に近い、
古風な作品のように感じるかもしれません。
たしかにラヴェルは、古いフランス音楽の形式を意識しています。
けれど、作品を聴いてみると、それは単なる懐古ではないことがわかります。
音の動きは軽やかで、響きは透明です。
装飾的でありながら、余計なものがなく、すみずみまで整えられています。
まるで、古い家具をそのまま置くのではなく、
現代の光の中で美しく磨き直しているような印象があります。
特に《クープランの墓》の魅力は、
悲しみを扱っている作品でありながら、音楽が過度に重くならないところです。
ラヴェルは、追悼の気持ちを大きな嘆きとして表すのではなく、
古い舞曲の形を借りながら、静かな美しさへと昇華させました。
そこには、フランス音楽らしい節度と、ラヴェル独自の品があります。
古い形式を借りる。
けれど、その中で鳴っているのは、過去の音楽そのものではない。
《クープランの墓》は、ラヴェルが「古いもの」を
どのように自分の音楽へ変えていったのかを、
とてもよく示している作品だと思います。
《ボロディン風に》《シャブリエ風に》——作曲家の“文体”を借りる
《クープランの墓》が「古い形式を借りる」作品だとすれば、
《ボロディン風に》《シャブリエ風に》は、
他の作曲家の“文体”を借りた作品と言えるかもしれません。
この2曲は、ラヴェルが1913年に作曲した短いピアノ曲です。
《ボロディン風に》は、ロシアの作曲家アレクサンドル・ボロディンの作風を思わせる小品です。
ボロディンは、ロシア五人組の一人として知られ、
《だったん人の踊り》などでも有名な作曲家です。
ラヴェルの《ボロディン風に》は、短いワルツです。
ロシア的な濃い情緒をそのまま出すというより、
どこか遠くから眺めたような、品のよい香りがあります。
「ボロディンらしさ」を、ラヴェルがフランス的な感性で受け取り直した曲、
と言ってもいいかもしれません。
一方、《シャブリエ風に》は、
フランスの作曲家エマニュエル・シャブリエの作風を思わせる作品です。
シャブリエの音楽には、明るさ、リズムの跳ねる感じ、少し野性的な力強さがあります。
ラヴェルはその特徴を、軽やかに、そして少し誇張するように扱っています。
《ボロディン風に》は、優雅で、少し憂いを含んだ小品。
《シャブリエ風に》は、明るく、茶目っ気のある小品。
同じ「〜風に」という発想で書かれていても、
ラヴェルは相手によって音の表情を変えています。
ここに、ラヴェルの耳のよさが表れているように思います。
ただ似せるのではなく、相手の特徴をつかみ、
それをラヴェル自身の音楽として仕立てる。
《ボロディン風に》《シャブリエ風に》は、
ラヴェルの知的な遊び心がよく見える作品です。
《ハイドンの名によるメヌエット》——名前を音にする
ラヴェルには、《ハイドンの名によるメヌエット》というピアノ曲もあります。
これは、ハイドンの没後100年を記念して書かれた小品です。
この作品でラヴェルが借りているのは、
作風そのものというより、ハイドンの「名前」です。
作曲家の名前を音に置き換え、その音型をもとにして作品を作る。
これは、音楽の中に暗号のような仕組みを入れる発想です。
ここにも、ラヴェルらしい知性があります。
「ハイドンへの敬意」を感情的に語るのではなく、
名前そのものを音に変換し、ひとつのメヌエットにしてしまう。
ラヴェルは、誰かを讃えるときにも、ただ感傷的にはなりません。
きちんと音楽の仕組みに落とし込み、作品として磨き上げていきます。
この曲は短い作品ですが、「名前を借りる」という
ラヴェルのもう一つの方法を知ることができる、興味深い小品です。
《高雅で感傷的なワルツ》——シューベルトの発想を借りる
もうひとつ、ラヴェルが「借りた」ものとして興味深いのが、《高雅で感傷的なワルツ》です。
この作品は、1911年に作曲されたピアノ曲で、
短い7曲のワルツとエピローグから成ります。
タイトルからもわかるように、
この作品にはシューベルトのワルツ集へのまなざしが感じられます。
シューベルトには、《高雅なワルツ》や《感傷的なワルツ》と呼ばれるワルツ集があります。
ラヴェルはそのタイトルや発想を受け取りながら、自分自身のワルツ集を書きました。
ただし、聴こえてくる音楽は、シューベルトそのものではありません。
シューベルトのワルツには、親密で、素朴で、どこか日常の空気に近い魅力があります。
それに対してラヴェルの《高雅で感傷的なワルツ》は、
もっと洗練され、少し距離を置いたような優雅さを持っています。
ワルツでありながら、ただ甘く流れていくわけではありません。
和声には鋭さがあり、響きにはどこか不安定な揺らぎもあります。
ここでラヴェルが借りているのは、
シューベルトの旋律そのものではなく、
ワルツという小さな形式と、「高雅」「感傷的」という世界の入口です。
けれど、その入口を通って出てくる音楽は、完全にラヴェルのものです。
シューベルトのワルツの親しみやすさをそのまま再現するのではなく、
ラヴェルはそれを20世紀初頭のフランス音楽として、
より精密で、透明で、少し影のある音楽へと変化させました。
ここにも、ラヴェルらしい「借りる美学」があります。
《高雅で感傷的なワルツ》は、シューベルトへの敬意を感じさせながらも、
決してシューベルトの模倣ではありません。
シューベルトのワルツを遠くに見つめながら、
ラヴェル自身の音で書かれた、新しいワルツなのです。
まとめ。借りたものが、ラヴェルになる
ラヴェルのピアノ曲を見ていくと、
彼がさまざまなものを「借りて」いたことがわかります。
《クープランの墓》では、古いフランス音楽の形式を。
《ボロディン風に》では、ボロディンの作風を。
《シャブリエ風に》では、シャブリエの音楽的な勢いを。
《ハイドンの名によるメヌエット》では、ハイドンの名前を。
《高雅で感傷的なワルツ》では、シューベルトのワルツの発想を。
けれど、それらは決して「借りただけ」の作品ではありません。
ラヴェルは、借りたものをそのまま音楽にするのではなく、
自分の耳で聴き直し、自分の美意識で磨き、自分の音楽として完成させました。
そこにあるのは、単なる模倣ではなく、創造です。
誰かの音楽を知ること。
その特徴を受け取ること。
そこに敬意を持つこと。
そして、自分の感性を通して、別の作品に生まれ変わらせること。
ラヴェルの「借りる美学」は、そんな創造のあり方を教えてくれます。
影響を受けることは、自分がないことではありません。
何かを借りることも、個性を失うことではありません。
大切なのは、それをどのように受け取り、どのように自分の中で変化させるか。
借りたものが、ラヴェルになる。
そこにこそ、彼の音楽の知的な面白さと、
品のある遊び心があるのかもしれません。
合わせて読みたい
ラヴェルの音楽に惹かれる方は、
フランス音楽全体に流れる「余白」や「曖昧さ」の美しさにも触れてみると、より深く楽しめます。
🎶 フランス音楽って、なにが“フランス的”なの?──曖昧さを愛する美学

ラヴェルの代表作《ボレロ》について知りたい方には、こちらの記事もおすすめです。
同じ旋律のくり返しが、少しずつ色彩を変えながら大きな音楽へと育っていく魅力を、
やさしく解説してしました。
🎶 春に聴く、ラヴェル《ボレロ》。ひとつの旋律が花開くとき

